よっしーworld

「よっしーworld」へようこそ。ここは、みなさんの暇つぶしのためのサイトです。制作者は、私こと「よっしー」です。

うずらのココ 第2話ー3 ~夏祭りにいったよ~

その3

 夕方になり、夏祭を楽しんだココとお母さんは帰ることにしました。これから3時間歩いて帰るのです。

 帰り道、ココはお母さんの背中におんぶしてもらっていました。すると不意に後ろのほうで、「ドン、パチパチ」という大きな音がして、空が一瞬明るくなりました。

 

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 ココは、「あれは、何?」とお母さんに聞いてみました。

 

 お母さんは、「あれは花火よ。花火っていうのはね、花火のお団子を打ち上げて空にぶつかって破裂して花火になるのよ。ほら、土でお団子を作って、地面にぶつけると同じ形になるでしょ。それからね、大きな音は、空にぶつかる時に出る音なの。」と優しく教えてくれました。

 ココは納得しました。大きな音は明るい光といっしょにできるんだなと思いましたが、あの出前をやっている食堂の主人が光らないのが不思議でした。

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 次にココは、「明るい昼間に花火をやればもっとよく見えるのに、どうして暗くなってからやるの。」とお母さんに聞いてみました。

 お母さんは、「太陽のそばで花火がわれたら、太陽の光がまぶしくて見ている人の目が悪くなるわよ。それから、大きな音がしたら、お昼寝している人のじゃまになるでしょう。」と言いました。

 ココは、そのとおりだと思いました。

 その次に、「じゃあ、花火が月にぶつかったらどうなるの。」って聞いてみました。

お母さんは、「月は硬いのよ。ココは、月の写真って見たことある?月にはクレーターがあるけど、あれは月に別の星がぶつかって別の星が破れてできるの。月は硬いから花火が破れるわよ。」と答えました。

 ココは、「お母さんって物知りだな。」と思うとうれしくなりました。

 

 頭の上には銀色の月が出てきました。ココは、「お月さま、こんばんは。」とあいさつをして、涼しい銀色の光の中、そのままお母さんの背中で眠りました。

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うずらのココ 第2話ー2 ~夏祭りにいったよ~

 

その2

 次に、金魚すくいの屋台に行きました。

 ココは、金魚すくいを見たことがなかったので、「あれは、何?」とお母さんに聞いてみました。

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 するとお母さんは、「あの赤い魚は、金魚っていうの。ここは金魚たちのプールで、今、鬼ごっこをしているのよ。ココもいっしょに鬼ごっこして遊んでごらん。」と言いました。

 ココは喜んで、金魚すくいの水槽の中に入っていきました。そして、「キャッ、キャッ、待てー。」と大きな歓声をあげて、泳ぎながら金魚を追いかけました。

 お母さんも、「ココちゃん、こっち、こっち。」とか「ほらほら、ここよ。」とか言いながら、夢中になって応援しました。

  屋台にはお客さんがいなかったので、屋台のひかえめなお兄さんは黙っていましたが、しばらくしておもむろに言いました。「あのお、ここは金魚すくいの屋台なんですけども。」

 それを聞いたお母さんは、「そうですよね。でも、お構いなく。」なんてピントのずれたことを言っています。

  しばらくすると、うずらと金魚の鬼ごっこを一目見ようとたくさんの人が集まってきて、屋台のまわりはギャラリーで埋めつくされました。みんな「ココちゃん、がんばれ。」と声援を送っています。

 あいかわらず、ココは金魚をつかまえられず追いかけています。そのとき屋台のお兄さんが言いました。「ココちゃん、角(かど)だよ。角に金魚を追い込むんだ。そうすると逃げ場がなくなって、きっとつかまえられるよ。」

 ココは、そのとおりやってみました。すると、特に運動神経の悪い金魚を1匹つかまえることができました!

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 ギャラリーからは、「おー!」と歓声があがり、割れんばかりの拍手が巻き起こりました。感動して涙ぐむ人もいました。

 なかでもいちばん喜んだのは、あのひかえめな屋台のお兄さんで、ギャラリーに向かって「万歳三唱しますので、ご唱和ください。」なんて音頭を取っています。

 そして、ギャラリーは心をひとつにして万歳三唱をしました。

 

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うずらのココ 第2話-1 ~夏祭りにいったよ~

その1

 今日は、となり町で夏祭です。じゃがいもで作ったお昼のお弁当を持って、ココとお母さんは、電車賃がないので片道3時間の道を歩いて行くことにしました。

 道を歩いていると、お母さんは、ココが退屈しないように自分で作った変な歌を歌ってくれました。また、ココが疲れると、お母さんがおんぶしてくれました。

 こうして二人はお昼頃、となり町に着きました。 

 

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 夏祭の会場は、とてもたくさんの人が集まっていて、ステージでは何かのイベントがやっていました。その周りには、原色を使った目立つ屋台もたくさんあり、その中に綿菓子の屋台がありました。

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  ココは、綿菓子を見たことも食べたこともありませんでした。そこで、お母さんに聞きました。「あれは、なに?」

 お母さんは答えました。「あれは、綿菓子だよ。とても甘いんだよ。」

 するとココは言いました。「少しだけ食べてみたいな。」

 お母さんは、困りました。お金がないのです。そこで、屋台のお兄さんにお願いしたら、ひとつもらえることになりました。

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 屋台のお兄さんは綿菓子の機械のまわりに付いた残りを集めて、小さい綿菓子を作って、「ココちゃん、お待ちどうさま。」と言ってココに手渡しました。お母さんは、何度もお礼を言っています。

 ココは、綿菓子を少しちぎって口に入れました。そしたらすぐに溶けて、甘い味が口いっぱいに広がりました。

 ココはびっくりして、うれしそうにお母さんに言いました。「かまなくてもなくなったよ。甘くてとてもおいしいよ。」

 ココは、小さい綿菓子を少しずつゆっくり食べました。

 

 

 

うずらのココ 第1話 ~ココのくらし~

ある村にうずらの親子が住んでいました。子どもの名前はココ、女の子で年は3才です。

この親子はとても貧乏で、大きな木の下に拾ってきたトタンで屋根を作って、そこに住んでいました。

家の中は暗いので、外が暗くならないうちに家の外で晩ご飯を食べて、食べたらすぐに寝ていました。

 

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ココのお父さんは、食堂の出前を配達する仕事をしていましたが、うまく仕事ができませんでした。

 たとえば、出前を配達しようとしても配達先を忘れてしまったり、途中で迷子になったり。

   それどころか、出前であることを忘れて自分で食べてしまったり、自分の家に届けてココに食べさせたりしました。

 そんなわけで、ココのお父さんはいつも食堂の店主から怒られていました。

 あるときココが食堂の前をとおりかかると、また、店の主人がココのお父さんを大きな声で叱っています。

   ココは、「雷みたいだな。いつ光るんだろうな。」と思いしばらくみていましたが、店の主人は光りませんでした。 

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    一方、ココのお父さんは、全く話を聞いていないようで、目をパチパチして、キョロキョロしています。

  ココの家のご飯は、ゆでた大豆やじゃがいもでした。一度、お米をゆでたことがありますが、ゆでる前にたくさん入れた水が、ゆで上がるころにはどこかに消えてなくなっています。それが不思議で、お母さんはお米をゆでるのをやめました。

   それから、ココのお母さんは料理が苦手で、簡単なものしか作れません。しかもセンスがないので、キュウリやタクアンをゆでた不思議な料理を作りました。調味料は、塩と砂糖だけです。でも、ココは料理のことを何も知らないので、なんでも「おいしい、おいしい。」と食べました。

 

    また、ココのお母さんは、家の前で自分たちが食べる野菜や果物を作っていましたが、農業の知識や経験がないので、うまく作れませんでした。

    ココのお母さんは、そこで瓜(ウリ)も作っていました。ココの家は貧乏なのでメロンを買えません。メロンの替わりに瓜を食べていました。

 瓜を食べる日は、ココのお父さんの給料日などの特別な日でした。食べる前には、家の前の井戸の水で冷やしてから食べました。

  

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              第2話につづく・・・。

制作者紹介

【私の人生】  

「よっしーworld」へようこそ。ここは、みなさんの暇つぶしのためのサイトです。制作者は、私こと「よっしー」です。 

 

自己紹介

出身地:東北地方

所在地:東北地方

性 別:男性

生まれ:1960年代

興味のあること

 自然、昆虫、羊さん、にわとりさん、外国語、会計学、童話、童謡、手品、ギター、作詞・作曲、ヘビメタ、UFO、心霊現象、超能力などなど

 

 

これまでの人生

 私は東北地方の貧しい家庭に生まれ、子どもの頃から変人といわれて、バカにされてきました。

その後、20歳のとき交通事故により脊椎を損傷し、それ以降は車椅子で生活しています。

 22歳頃から33歳頃まで、ある国家試験に挑戦してきましたが、失敗しました。35歳頃からアル中になり、52歳頃まで酒を飲み続けました。

 2015年冬、自宅が全焼し、かわいがっていたネコのたまちゃんが焼死しました。

 現在は、不眠と床ずれと五十肩に苦しんでいます。

 

 

ギター

 10代の頃はギタリストになりたいと思い、一日に8時間位、ギターを弾いて音楽理論を勉強していました。また、将来は海外で生活することを想定し、外国語も勉強していました。

 ギターを弾いたことがあるなら経験あるでしょう。左手が思うように動きませんよね。私もそうでした。私は左手を自由に使えるようにするため、左利きとして生活しました。今でも左右両方の手を使えます。

   でも、ギターを弾くときは、右利きですよ。Micheal Anjeloみたいな弾き方じゃありません。

 好きなギタリストは、Jason Becker、Tony Macalpine、Yngwie J Malmsteenなど熱く激しく狂おしくテクニカルでエモーショナルなプレイをするギタリストが好きです。

 

 

アル中

 2014年頃、アル中で病院に入院したとき、医師から「アル中は直らない病気だよ。」と告げられました。断酒を続けたこともありますが、また、元のようにお酒を浴びるように飲んだりする繰り返しです。悔しいな!

 

 

不眠

 不眠症でなければ、不眠の苦しさをわからないでしょう。普通であれば、疲れると自然に眠くなりますよね。けど、私は疲れても眠くならないんです。

 睡眠導入剤を飲んでいますが、十分に眠ることができません。そのため、毎日毎日、疲れが徐々に蓄積されていき、そのうち発熱して吐き気がして苦しくて苦しくてたまりません。

    どのように苦しいかというと、たとえば三日間寝ない状態で10kmマラソンするようなもの(やったことないですけど・・・)です。

    疲れが極限に達すると、気を失うように倒れます。その時、少しだけ眠ることができます。

 子どもの頃から、不摂生な生活をしてきたバチかな。はははっ。

 

 

幻聴

 私には幻聴が聞こえます。意味のある言語は聞こえませんが、車を運転中に車の窓が開いていて車内にはいる風の音や扇風機の風の音に混じって聞いたことがない音楽が聞こえるというものです。楽しいですよ。

 この能力を使えば、非常に多くの曲を作曲できます。だって、聞いたことのない音楽が聞こえてくるんですから。

 聞こえてくる曲の種類は、ロック、ブルース、ジャズ、歌謡曲、演歌、童謡、世界各地の民族音楽、不思議な現代音楽?とか、ジャンルを問いません。

 これって、統合失調症かな?と思い、医師に聞いたところ、「統合失調症が原因の幻聴とは、幻聴により著しく日常生活に支障をきたす症状をいい、君の場合はむしろ楽しんでいるので統合失調症ではない。」といわれましたが、一理あるような、ないような・・・・・。

 

 

UFO

 私はこれまで何度かUFOを目撃したことがありますが、車の運転中であった等の理由で撮影したことはありません。

 しかし、UFOってなかなか見えませんよね。子どもの頃から、毎日毎日、空を見ているのに、これまで5回くらいしか見たことがありません。

 ちなみに私が見たのは昼間で、とても明るい光でした。

 

 

幽霊

   私には全く霊感がありません。

また、基本的に他人の心霊体験は信じません。理由は、他人の話は脚色されているようで、かなり大げさな感じがするためです。

 けど、自分が見たり体験したものは真実です。本当に見るとびびりますよ。

 

 

臨死体験

 私は、幽体離脱の経験があります。それは20歳のとき交通事故で大けがをして、数日間意識がなかったときのことですが、自分の体から幽体が脱けました。

 幽体離脱の瞬間は、次のようなものです。

 私は、病院のベッドで仰向けに寝ていました。そこには、私の顔を心配そうに見つめている母がいました。私は、「どうしたの?ここはどこなの?」と聞いてみましたが、全く聞こえていないようで何度聞いても返事がありませんでした。そのとき、もはや自分の声は誰にも聞こえないんだなと感じました。

 不意に私は、ベッドから起き上がろうとしました。すでに肉体は下半身が完全にマヒしているため起き上がることができないはずですが、私はフワフワと自分の体から抜け出して、みるみる母の顔に近づいていきます。「危ない、ぶつかる。」と思い、目をつぶりました。というか、つぶったつもりだったかもしれません。気がつくと母の体をすり抜けて天井に近づいていきました。また、ぶつかると思い、下の方に行こうと思うとスーっと床の方に方向転換しました。

 

 病院の廊下をまっすぐに進んでいるつもりでも、そのうち壁にぶつかりそうになったり、天井にぶつかりそうになったりフワフワしていました。また、肉体がないため重力の影響(遠心力)を全く受けず、廊下を直角に曲がることもできました。

 また、自分が死んだと思っていないので、部屋を出る時は、ドアの方に行きドアを開けたつもりになって、閉まったままのドアをすり抜けて外の廊下に出ました。

 さらに、私は、かなりの近眼でメガネがなければ本当に何も見えないのですが、幽体離脱の際はメガネがなくてもよく見えました。

 

 時間の概念はなく、疲れて眠ることも、おなかがすくこともありませんでした。

 また、「お花畑」や「さんずの川」は見ませんでした。ただ、牧草地のような広い草原を覚えています。そこは明るくて静かな場所で、私はひとりでした。誰にも会いませんでした。

 

 幽体が離脱しているときは、十分に思考することができず、ぼんやりしていました。また、エッチなことも考えませんでした。

 その時の気分は今までに感じたことのないような安らかで穏やかなものでした。

 

 どうやって元の自分の体に戻ったのかは、記憶にありません。気がついたら、人口呼吸器につながれて集中治療室のベッドの上に寝ていました。寝返りもできない状態でした。メガネはしていませんでした。

 

 

超能力

 子どもの頃には超能力者になりたくて、スプーンを曲げる訓練を続けましたが、曲がりませんでした。

 けど、超能力ってあると思います。たとえば100mを10秒で走るとか、囲碁・将棋の棋士が瞬間的に膨大な指し手を読むとか、常識では考えられない能力を発揮する人もいます。

 それと同じ理由で、常識では考えられない能力を持っている人もいると考えています。

 

 

羊さん

 羊さんってかわいいですよね。私は、羊が大好きです。

あるとき、農場で羊さんの家族に会いました。かわいい赤ちゃん羊もいました。

 私は「おやおや、かわいい赤ちゃんですこと。ちょっと見せてください。」とお父さん羊にお願いしたところ、

「メー!」

と断られました。

それでも、もう一度お願いしたところ、もっと大きな声で、

「メー!!」

と断られました。

 目を見てわかったのですが、お父さん羊は怒っていました。

 

 

にわとりさん

 子供の頃、私は鶏(にわとり)を飼っていて、とてもかわいがっていました。数年間、その鶏といっしょに暮らしていましたが、鶏はだんだん年をとって、とうとう死んでしまいました。私はとても悲しみました。そして、庭のすみにお墓をつくってあげました。

 そのころ私は10才くらいでしたが、将来、自分は故郷を離れて遠い海外で生活することになると漠然と思っていたので、お墓の前で鶏さんに話しました。

「ぼくは将来、外国に住むから、もう家には帰ってこないし、鶏さんのお墓にも来られなくなる。そのとき寂しくないように、お墓のまわりに花の球根を植えるからね。」

 

 その後、私は海外で生活することもなく、故郷の自宅で車椅子を使って生活しています。

 今でも春になると、庭のすみに、水仙とチューリップの花が咲きます。

 

 

「うずらのココ」というお話しについて

「うずらのココ」は、ココといううずらの女の子とその家族のお話で、家庭はとても貧乏です。

ほのぼのとして楽しいお話ですが、胸にキュンとくる部分もあるかもしれません。

 

私は不眠症ですが、ココのことを思い出すといつのまにか寝ています。ココのおかげかな。